私が深まる大学院へ、個別で導く

2022年10月25日

社会人が文系大学院に行くと「自信」や「ブレない軸」を身につけられる

アイキャッチ画像

職に就いている社会人が大学院で学問する目的とは何?

手短にまとめてしまうと、「社会人であるがゆえに、大学院合格までの過程で、現役学生では想像もつかないような苦労を経験する。そのうえ、大学院に入学してからも、壮絶な苦行が待っており、まさに三重苦を味わう」ということですよね。では、そこまで苦労してでも、すでに職についていて職場がある社会人が大学院に入学する目的やメリットとは何なのでしょうか?

まず、「心理系の資格を取得すれば給与が上がる」「大学院で取得できる資格で出世が見込めるという場合」であれば、比較的、話は早いと思います。問題は、「純粋な学問」に属すると言える人文社会科学の大学院の場合です。

純粋な学問を扱う「人文社会科学の大学院」へ行く目的のうち最も大きいものは、院生時代に学問研究を極めつつ外国語も修め、将来的に大学教員として教壇に立って、大学生に学問と語学を講じるという事です。

とりわけ文系においては、海外留学や海外学位など特殊なケースも少なくありませんが、大学で准教授もしくは教授の職に就いてテニュアを獲得し、大学勤務で生計を安定させるためには、早慶以上の大学院で博士号を取得することが望ましいです。

そのためには、修士課程で早慶以上の大学院に進学するに越したことはないという話になります。博士課程への進学では人脈や人望が活きることもあるため、早慶以上の大学院の博士課程に進学するためには、早慶以上の大学院で修士号を取得したほうが良いからです。

ただし、もちろん、伝統的に、旧帝大レベルの国立大大学院で修士号を取得してから海外で博士号を取得し学界で活躍する人も多いです。

なお、補足的な説明になりますが、MARCHレベルの大学院の博士課程修了であれば、大学准教授まで辿り着けなくても、高等教育機関の非常勤講師や執筆・翻訳などによって学問で生計を立てていくという望みもあります。

 

学問研究という「楽園」で、生きている意味を深く感じることができる

社会人の方が、以上に述べたような学者・教授としての道のりを希望されるのであれば、まだ話は早いでしょう。初めから「いばらの道」と分かっているわけですから、音を吐かずに地道に努力し続けるしかありません。しかし、自分の年齢がある程度上であることを分かってる方々が今さら博士号取得を希望するケースは多くありません。むしろ、「学術の分野で修士号を取って箔を付けよう」「社会的地位や尊敬を得て人間として大きくなろう」「思想的・学問的に人生を深めたい」という方が多いのです。

そのような場合ですと、「現在勤めている職場を辞めずに大学院に通い続けられるのか」、もしくは「2~3年かけて学問研究に打ち込み修士号を得てから、問題なくスムーズに復職できるのか」は重要な点であります。

というのも、修士論文の審査に落ちた場合などは、修士号取得には最長で4年かかる場合もありますし、各々の大学院の学則にも拠りますが、留学したり、体調を崩して休学したりすると、大学院入学から修士号取得までに5年以上かかることもあります。

「3年以内であれば元のポストに復職できる」といった社則がある場合も、大学から離れて久しい社会人だと修士取得まで4年以上かかるケースも多いことは念頭に入れておきましょう。

ちなみに、東大院生の場合だと、「博士課程に進学できるか分からない」という事情から、あえて修士の院生のうちに2年ほど留学する人も少なくありません。

人生や社会を深く知悉することで、困難や不安に負けない自分になる

職場や復職について充分に考えたうえで人文社会科学の大学院に進学するのであれば、社会人の方が思い描いているような、実利的追究とは全くかけ離れた、「学問研究のために意気投合してお互いを磨きあう環境」という、ある意味で楽園に近いような世界が待っています。まさに大学院を聖地のように感じることでしょう。

「上司に叱られ、給料を減らされ、会社の奴隷のような私」と思っていた人でも、ゆったりと、いきいきと、自分が生まれてきた意味や生きている価値を、思う存分、深く噛みしめることができます。

とくに自分の専門分野とは関連のないゼミに出てみることで、自分の思考回路が磨かれて今までにないアイディアがひらめいたり、「生きるヒント」と呼べるような哲学的知見が深まったりします。社会科学を深めることで実際の社会を深く知り分析することも可能ですし、人文社会科学全般に精通して「俯瞰的に自分の人生を考究して、豊かで充実した生活にたどり着くためのヒント」が得られます。

 

修士研究の深さと独自性は、読書や「社会人スキル」では得られない

大学院と関係なく一般的な考え方として、「読書することで知的興奮や知見、学識を得ることができる」という考えは当然です。また、社会人として勤めていく中で様々なスキルを磨くことができ、仕事のために多くの文章を読みながら、自分の人生の幅も広がるし収入アップにもつながるというのは否定できないことです。

上記の考えをお持ちの方が、「時間とお金に余裕ができたら大学院へ行ってみたい」と脳裏によぎった時に思い起こしてほしいのが、「自分で独力で掘り下げていく修士論文研究は、他の物には代えがたく、生涯にわたって自分の宝になる」ということです。

それはどういうことなのか、裏を返してみると、たとえば多読家が毎日読書したとしても、本当に核心的なこと以外は、時と共に記憶が薄まっていくものなのです。かくいう私自身、そうでした。

もちろん読書を否定するつもりは全くありませんし、有益な知識や高尚な教養は大切ですし、知的満足は人格を陶冶してくれます。ですが、自分の生き方を決定づけてくれるもの、自分の人生を永続的に鼓舞してくれるもの、という意味での思想的・理念的なエネルギーは、やはり全てを注ぎ込んだ修士研究によって得られるものです。

修士研究で自分の人生を切り開くための「推進力」や「勇気」を得よう

たとえるならば、自分の全てを修士研究に注ぎ込むことによって、「オリンピック選手がメダルを入手したのと同じレベルのもの」が得られるのです。そして、長い人生には、仕事や家事で追われたり、様々な問題に対処していて読書する時間や余裕がない時期もあると思います。そういったときも、自分が独力で掘り下げていった修士研究の学問内容を決して忘れることはありませんし、消えていく事のない独自の学識は、自分の人格と品位を守り、先に進む勇気と自信を与えてくれます。

それが「会社員とはワンランク異なる学者であることの意味」であると考えています。やはり、本を読むというのは「他人の研究や考え」を知ることであり、自分が独自の研究を成し遂げて本を書くというのは、色々な意味で次元が違うのです。まさに「無知は罪なり」「知は力なり」という世界です。

ゼミや研究室でのディスカッションから得られる幅広い視野と広範な知識は、会社で得られるものとは一味違うのです。それは、豊饒な大地を涵養するかのごとく院卒人材の知性を豊かにしてくれますし、再び社会に出て日銭を稼ぐようになってからも、必ず他では得られないヒントやアイディアを与えてくれます。そして、総括的に、あなた自身が自分の力で自分の人生を切り開くための「推進力」「自発的スキル」を養ってくれます。

タグ /
電話で体験授業の申込&相談➿ 0120-196-281受付時間 9:00 - 22:00(年中無休) 有料体験授業を
Webで申し込む(60秒完了)