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2022年10月25日

難関大学院は「ガリ勉」だけじゃない!「爽やかで深い人脈」はなぜ錆びつかないのか?

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難関大学院に行くと、「絆の深い人脈」が深まるメリットはご存じでしょうか。

友人や人脈とは、どのような物なのでしょうか。確かに、小学校時代の同級生は、連絡先は知らなくても邂逅できれば心が弾み、人生のコクを深めてくれます。また、就職して新しい分野のスキルを身に着ければ、人生の幅が広がっていくでしょう。でも、難関大学院に行くことで得られる「絆の深い人脈」は、それとは少し違うのです。

国立大大学院では、最新の研究を行っていくことを通して、院生同士で意見を出し合って励ましあったり、時には冗談を言ったりしながら切磋琢磨していきます。学問上の新規性と独自性という「究極の高み」を目指して必死に協力し合うという、貴重な機会と経験を通して、他では得られることのない人脈が深まっていくのです。

それらは、大学院を出てから一生の間にわたって消えることなく、研究者として教養市民としての人生に喜びや助け舟を提供し続けてやみません。一切の利害関係や利潤追求と関係なしに、必要な時には支えあい、情報を提供しあい、必要に応じて励ましたり仕事を分け合ったりする。それでいて、どんなことがあっても消えることがなく、いつでもずっと協力し合うことができる。

薄れていくこともなく、永遠に若々しく、爽やかさや励ましを提供してくれる「絆の深い人脈」は、現代日本においては、大学院もしくは海外留学の場でしか形成されないと言われています。これは、実際のヨーロッパ留学の現場などで若い人たちが囁きあっていることです。

 

いい人生が送れて、長続きする人脈。30代以降、大学院で築いた人脈が活きてくる

院卒後、すぐに学問を活かせる職が見つからなくても、決してあきらめないことです。不屈の精神を捨てずに長い目で人生を捉えれば、いくつかの職場・職種を転々としたとしても、そのうちによい職場が見つかることもあります。でも、そのときには、その職を絶対に離さないようにしましょう。そこを基軸にして、仕事も増えていきますし、そのうちに段々と学識を活かして収入につながるようになります。そういった人生を支えてくれるのも大学院で作った人脈ですし、また世間の厳しさゆえに研究者同士のきずなも強まる側面もあります。

 

(実際の事例)

・大学院卒業後、当初は大学院の経歴を活かせなかったが、35歳のキャリアチャンスで、学問的な知見を活かせる職に就いた

・40歳になって、社会学修士と欧州研究が評価されて、問題収集力と調査力、分析力、社会全体を俯瞰する能力が買われて、管理職に抜擢され年収に結び付いた。入社当初、末端の仕事しか任せられないうちは辛酸をなめたが、ある程度の歳月を経て権限と裁量を与えられてから、院で習熟した能力を活かせて、一気に飛躍した。

・終身雇用制が崩れ、アメリカ社会のように個人のスキルや能力が重視される流れの中で、フリーランスと言った働き方を取る若者が増えている。修士課程で身に着けた能力を、大学での講義という形以外で、間接的に生かすことができる。

・表面的に要領よくそこそこの仕事をそれなりにやる人が会社員として評価されるのに対して、一つのことを煮詰めて徹底的に専門家としてやる人が得意な研究者は、独立起業に向いている。社会学や社会科学の見識があればそれも生かせるので、なおよい。

・文系の学問的知識。表面的にはワープアでも、心は錦。メンタル面においては豊かさがある世界に生きている。そもそも人生において重視している土俵が異なる。人生において仕事が重要な中で、年収が安くても尊敬を得られるような職に就いている。教養の深いことをやる習慣ができていて、着ている服は安くても、精神的に豊饒な人生を送っている。目に見えないところで豊かさがある。

 

院卒後は、どの職に就いても「密度の高い」人生を送ることができる

学者も、芸術家も、おおむね18世紀以降、他の職より密度の濃い仕事をして生計を立てて、密度の濃い人生を送ってきました。

売れて儲かればよいという「軽い人生」ではなく、大学院で培った堅固な土台をもとに、職種を問わず学識を発揮してイニシアティブを取れるようになり、「密度の濃い」人生を送れるようになるのです。

儲けるために自分の意に反することをしたり、稼いで生活していくために自己の理念や尊厳を歪めることは、現代社会では儘あれど、倫理面・思想面・人権面で発達している西欧社会では避けられるなら避けたいと考えられています。

大学院を出た人であれば、2~3年は辛抱する時期があっても、必ず、「密度の濃い人生」を送ることができる職に就けます。生きていく事の意味を噛みしめ、常に自分の存在意義を感じられる、生き甲斐のある人生に到達できるのです。

自分の長所や能力を活かし、理念や理想を現実化し、かつ社会を変えていくというような大義名分を発揮できる、市民社会における「スタンドプレイ」を職業的に実践できるのが院卒人材です。

 

究極的な命題と向き合うという古代ギリシャ以来の西洋的観念

教養や学問、語学知識といったものは、すぐには実利実益には結びつかないかもしれませんが、かと言って社会全体がそれらを完全に無視してしまえば、治安は悪化し、民度は落ちていき、理性的思考や人格が崩壊するとともに社会の質が落ちていって最後は戦争に至ります。これらは、カントと言った哲学者たちも考えてきた課題です。

ですから、教養や学問、語学はある意味で芸術や文化と同じであり、誰かがリーダーシップをもって教養市民を育てていき、学界を率いていかねばならないのです。そういった倫理的・思想的にレベルの高いプロジェクトに携わっていく事も、人生の密度を濃くしてくれます。

Ph.D.の社会的地位が高く、彼らが手を取り合って社会を改善している一例として、ドイツにおける精神疾患への取り組みを上げることができます。精神疾患の患者に投与される精神安定剤や向精神薬は、劇的効果を発揮することもある一方、患者に常軌を逸した眠気をもたらし、起きていても「一日ボーっとしている」といった状態も珍しくありません。

これに対して、社会学博士や哲学博士たちが、「競争の激しい先進国社会においては、医師が処方するままに薬を飲んでいては経済的自立が困難であり、生活環境の改善に至らず、ひいては悪循環に陥り病気も完治しない」と調査の上で結論付け、精神疾患とその治療における「社会的側面・事情」を医学博士たちに訴えかけ、より患者の実情と社会復帰に適した全人的・総合的治療が模索されることになりました。

つまり、あえて極端な比喩を用いれば、大学院を出れば、「たとえ世間から評価されなくても、価値のある高尚な芸術作品を作り続けた西欧の芸術家」のような生き方に到達できるのです。もちろん、これは極端な比喩ですので、そのような清貧な人生を送ることが求められることはありませんが、裏でコソコソ汚いことをやって稼いでいくような人生とは決別できます。

 

大学院なら高邁な目的を達成するための同志と知り合える

もう1つ、例を挙げましょう。小説や映画などで見るヨーロッパ社会では、18~19世紀は、疫病こそ流行ったものの、鬱や統合失調症と言った精神疾患は、現代より少なかったと言われています。本場欧州の歴史学者たちは、これらの調査・研究をもとに政府に提言したり、論文で発表したりして、実際に社会の役に立っているのです。役に立っているから、学者も認められていくわけです。

また、ドイツでは、歴史学者を中心に「記憶・責任・未来」という基金が設立され、ナチスドイツの犠牲者や遺族に、徹底した「犠牲者ファースト」の原則を貫きながら謝罪と補償を行ってきました。人類史上、最悪の戦争犯罪をしでかしたドイツの国際社会への復帰を支えるために、学者らの努力は不可欠な役割を果たしました。この基金は、メルケルが直接指示を出して主要政策に位置付けていたことでも知られています。

このような努力をして認められるための同志を見つけることができるのも、大学院に行くメリットです。

 

学問の造詣の深さによって、「ごまかしのない真にまっとうな人生」を送ることができる

俗に「社畜」という言い方をよくしますよね。でも、会社員や正社員の方は、利潤追求を通して経済の発展に貢献しており、日本社会と国際社会を支えています。

では何故、昨今「社畜」という表現が流行るのでしょうか。それは、「会社や社益のために自己の理念や理想を押し殺し、会社が発展するためなら個人の尊厳や個性をも犠牲にし、ときには人格やプライドまで蹂躙されるがために、結果的に会社からの給与以外のことに目的や関心が無くなり、会社を辞めたら何もできなくなるような、思考停止の人間ができるような働き方」が現代社会では求められているからなのです。

その結果、給与につながらない能力や知識はすべて捨象されていきますから、「Gesellschaft(会社=利益社会)」以外の要素が発展せず、北欧のような環境先進国・人権重視国と比較され市民社会やゲノッセンシャフト(Genossenschaft)の未成熟が論われることになるのです。

院で得られる様々な「メリット」は院卒後の人生の質を高めてくれる

そのような社会においても、大学院で培った学問的な造詣の深さがあれば、より深い学識と知見に基づいて、どんな時でも凡人よりも深い思考を行うことができます。また、一般の社会人や会社員よりも高い見地から、俯瞰的かつ鳥瞰的な判断を下すことができるようになるのです。

それらの「メリット=特権」は、大学院卒人材の人生を深めていき、一般人よりもワンランク上の位相へと導いていきます。その結果、単なる「給与奴隷」ではない、「自立して思考し判断する個人」になることができ、ライフワークの追究を通して本を書いたり、語学力を磨き続けたりと、市民社会における理想的な教養市民としての生活を送ることになります。そして、年齢と共に尊敬を集め、優れた人格や豊かな学識によって社会的地位も上がっていきます。市民的レベルでも社会を変えていくリーダーになれます。

それらの一つの結論として、国連人権理事会が推し進めている死刑廃止に向けて外務省等に働きかけたり、経済的基盤に余裕のある大企業に対して院卒人材の給与を上げることを求めていくことができます。また、環境問題や人権侵害に立ち向かう理念的・精神的なエネルギーを供給してくれるでしょう。

それらは、社会の発展に結びつくだけでなく、他ならぬ「院卒者=研究者」本人の人生の質や生きがいを高めてくれます。その際にも、院生時代に築いた人脈は必ずプラスに働きます。

以上のことを軽くまとめますと、大学院へ行くことで、「絆の深い人脈」が脈々と築かれ、いい人生を送ることができます。そして、30代以降においても、大学院で築いた人脈が活きてくるのです。

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