私が深まる大学院へ、個別で導く

2022年10月25日

大学院を出ると国際的視野を持ったグローバル人材になります

アイキャッチ画像

自然法的な観点からも男女平等・男女同権は当然のことであり、先進諸国に倣って女性の社会進出と地位向上を実現することが日本の喫緊の課題であることは、言うまでもありません。

日本が歩んできた歴史を振り返ってみると、たとえば近代に入るまで「姥捨て山」というのがありました。働けなくなり、家事もできなくなり、駄々をこねるだけで役に立たなくなった老婆を山に捨てるという話です。ひどい話で、近世までの日本は人権も法も何もありませんよね。

でも、ここでふと足を止めて、女性の社会進出が進んでいる他の西欧諸国などを概観してみましょう。たとえばイギリスやドイツやフランスといった先進国では、男女同権と女性の社会進出が進んでいます。ですが、これは、欧米社会が持って生まれたポテンシャルによるものなのでしょうか。

実は女性のほうも、「エゴやわがままをなるべく会社や社会に出さず、理性的・理知的に行動しながら、女性らしい明るさで男性や場を持ち上げていく」という水面下の努力をしているのです。

上記のような事情を知る人は少ないでしょうし、現地のエスタブリッシュメントの女性と相当親しくならなければ話してもらえないことです。それくらい、女性は陰で必死に努力して地位を獲得しているのですね。もちろん女性が何もしなくても男女同権が達成されて当然なのですが、近代まで社会を作り上げてきたのが男たちなので、「女性が社会進出するために、これくらいの労力は惜しまない」というスタンスなのでしょう。

日本を含む東アジアや東南アジア諸国も、性犯罪を厳罰化し、女性の地位向上につながるような女子教育にいっそう力を入れていく中で、このような観点もあってもよいのではないでしょうか。

近代以降、西欧諸国と同様に「法の支配と平等、民主主義化、人権尊重」を実践してきた日本は、なぜか男女同権社会の到達が遅れているのではないでしょうか。

コロナ社会の現在、海外に留学しなくても、大学院に進学することで、こういった思想的・社会的な国際的水準にキャッチアップし、日本における女性の社会進出を推進するためのカギをも掴むことができます。もちろん、大学院に進学し、充分な情報とネットワークを築けば、海外留学へのハードルもグッと下がります。

文系の院なら思想的・理念的な国際的水準に追いつくことができる

しかし、日本に居ながらにしても、大学院に進学することで、こういった思想的・社会的な国際的水準にキャッチアップすることができます。その理由の一つとしては、ワンランク上になるための「幅広い視野」「生涯学習」「不屈の精神」を身につけることができるためです。

では何故、院卒人材でなければ日本社会改革ができないのでしょうか。この問いに答えることは、「なぜ西欧社会において、Ph.D.は社会を変えることができたのでしょうか」という問いに答えることと同質になります。

まず1点目として、「幅広い視野」と「利害を排した広範な知識」は、就職や職場では身につかず、大学院に進学しなければ身につかないという事が挙げられます。とりわけ自らの研究に没入する博士課程と違って、文系の修士課程は多様なゼミに出席したりして視野と知識を広げることができる時期です。

この点に関しては、「とりわけ日本企業は、欧米の企業と違って自社の利潤追求以外に関心を示さないため、社会的関心や市民的視野を失いやすい」という背景もあります。もちろん、それには、日本は中小企業が互いに成長を妨害しあって経済が停滞している、という「のっぴきならない事情」もあります。コロナ以降、韓国と台湾とシンガポールが経済成長を続け、アメリカ・イギリス・ドイツ・フランスが何とか経済成長する中で、日本とイタリアは経済が停滞しているのです。

自らのライフワークを達成するための姿勢や野心を養うこともできる

2点目として、ハイレベルな大学院では、修士課程のうちに「ライフワーク達成のための生涯学習の姿勢」が養われることが挙げられます。自らのうちに原動力を養成し、土日などを使って学問や研究をこつこつと進めていくという、倫理的にも学問的にもハイレベルな姿勢は、培われた学問や知識と共に、社会変革のために大きな役割を果たします。

ヨーロッパですと、高校教員や学芸員、文書館職員、図書館職員も、利潤目的ではなく学術目的で、土日を使って資料館で文献渉猟をして、自らのライフワークとしての研究を進めていますよね。そのようなイメージに近いです。日本でも、「在野の学者」として自力で研究を進めていく事は、文化的・社会的側面から困難が伴いますが、昨今は「在野の学者」として立派な書物を著しておられる方も少なくありません。

「哲学や学問や芸術を弟子に教えて、その弟子が、またいずれ弟子を取る」という文化が社会的に発展し成功したのはヨーロッパだけですし、「あの人は物理が得意だから、なにか物理学の知識が必要なことがあれば声を掛けよう」といった相互扶助の精神が市民社会に浸透しているのも欧州だからです。そのため、日本国内であれば、「土日だけでも予備校で物理を講ずる」といった会社や仕事とのコミッションが重要になります。

院で不屈の精神を養って大成する時機をうかがおう

3点目として、論文で敵を打ち負かしたり、非常勤講師を掛け持ちして凌いだりする「不屈の精神」が養われることが挙げられます。博士号取得者の地位と権力が高いドイツやフランスにおいても、高名な学者たちが、博士号を取得した時点ですでにビッグネームだったかというと、決してそうではありません。理不尽な敵たちを論破したり、非常勤や私講師で飢えを凌いだりして、ある程度の苦しい時期を乗り越えたからこそ、輝かしい業績と栄誉にたどり着けました。

たとえば世界的に著名な歴史学者の阿部謹也も、一橋大院博士課程を修了後、東京の高校で非常勤講師を勤めてから、学問で生計を立てるために小樽商科大学に転勤しました。辛酸をなめることがあっても、いつか捲土重来を期すとネバーギブアップの精神で研学を積み重ね、最終的に一橋大学長に就任したのです。

このような、決して諦めない不曉不屈の精神と、互いに鼓舞しあう同志を、大学院では養うことができるのです。一口に言ってしまえば、これらの3点を持ち合わせている知識人であれば、経営者であれ自営業者であれ、市民社会改革のリーダーになれるのですが、やはり大学院にストレートで進学することで、若くしてこれらの素養を身に着けることができるのが特長です。

とりわけ、この観点で言えば、「社会に貢献し、知見や利潤を社会に還元し、社会をよりよくしていく」と考える習慣は、大学の外でも役に立ち、また無意識のうちに大学院生の「生きる姿勢」を変えていき、前向きな思考習慣と、ポジティブに生きる態度を養います。それらを30歳を過ぎてから身に着けようとすれば誰でも苦労しますし、また若いうちに会得することで、倍加的に、人生を経済的・社会的・文化的・倫理的に素晴らしいものにします。

芸術や執筆、もしくは就職した職場によって、大学院で得るものと同等の美質を身に着ける人もいますが、やはり数は限られており、あくまで偶発的要素に頼っています。

 

市民的良心と国際的視野はグローバルスタンダードたる研究者の礎

近代市民社会における教養市民層の興隆のためには、古典、外国語に加えて、国際教養や国際的感覚を身に着けた市民層の育成が必要です。とりわけ、国際的品位、国際的常識、国際的センスといったものは、現代日本においても、大学もしくは留学に行かなければ養われないと言われおり、それゆえに4年制大学を出た社会人には一定の地位が保障されているのです。

でも、若くして博士号を取得した秀才たちが軒並みナチスに協力したドイツの事情は、いったいどうなっているのでしょうか。実は、戦後、歴史学者や社会学者、哲学者たちがナチスへの訣別を極めて強く打ち出すと同時に、多くの学者や教員と協力しあい、ネオナチ排除に労力と私財を惜しまず注ぎました。その流れの中で、「ユダヤ人の墓を荒らしたことへの猛省」や、独仏などにおけるいわゆる「1968年世代の台頭」があります。

その際に彼らが大事にしたのが、「市民的良心」と「国際的感覚」でした。この2つが無ければドイツは国際社会に復帰できませんでした。「ややもすれば戦争犯罪を繰り返してしまう」という危機意識を教養層や学者が国民に浸透させ、無条件で徹底的に戦争被害者に尽くすなどといった「決死の執念と努力」によって、過去を清算することに成功してきました。この点は、日本も見習うべきでしょう。

そして、今述べた「市民的良心」と「国際的感覚」が必要なのは、歴史学者や過去の清算だけにとどまらないのです。まさに大企業が強く、企業文化が実力を発揮する日本においても、これから多くの企業が海外進出を推し進め、日本版の「GAFA」を設立しようとする渦中において、グローバル化を齟齬なく実行していくために、こういったマインドは必要なのです。

 

身を切る思いで学問界の英語化を成し遂げたドイツを見習おう

学問が進んでいる国と言えば、まずアメリカやドイツなどを思い浮かべます。もしくは、イギリスやカナダと言った英語圏が真っ先に頭に浮かぶ人もいるでしょう。ドイツはもちろん英語圏ではありませんが、戦後のドイツは、大学と学界の英語化を先陣を切って進め、現在では、理系の学会は全て英語で開催されるというレベルまで至っています。(文系は、授業や学会が英語とドイツ語の半分半分です。)

ギムナジウム教育におけるラテン語・ギリシャ語による縛り付けが「ドイツ民族至上思想」につながり、市民層における「内向きなプライド」と「国際的視野を欠いた慢心」がナチズムにつながった一つの要因と考えられています。そのため、戦後、ナチスの清算を行う中で、大学と研究者は、ナチズムを繰り返さないための一つの策として、徹底した国際化・グローバル化を推進しました。その過程で、1次資料が英語以外である人文科学を除いて、アカデミズムの英語化が達成されたのです。

その成果の一つとして、2013年にアメリカ精神医学会が「アスペルガー(症候群)」のみならず「(広汎性)発達障害」という病名を廃止して、「自閉スペクトラム症」に改編した際に、ドイツやフランスの医師や知識人は一斉にそれに倣い、アメリカの医師たちが二度と口にしなくなり診断もしなくなった「アスペルガー」や「発達障害」という言葉や診断名を使わなくなりました。

ドイツ語やフランス語の映画や小説においても、「自閉スペクトラム症」という「病名」が使われるようになりました。その点、日本の医学はアメリカより10年以上遅れていると言わざるを得ませんし、語学力の欠如と共に、国際的視野や先進的学識をも失っています。

ドイツの理系の学会はすべて英語で行われますから、アメリカやイギリスの最新の研究成果を吸収することができます。もちろん、少し疑問を提示しようとしたり、わずかな誤りを訂正しようとしただけで、英語ネイティブが早口の英語でまくし立ててきて反論できなかったというような悔し涙を飲むこともあるでしょう。でも、そのようにして身を切る思いで、ドイツの学術界は、アメリカやイギリスの第一線に追いついているのです。

このような、英語化を含む学術改革や社会改革を日本において成し遂げられるのは、院卒人材しかいません。

 

国の「グローバル人材育成戦略」を実行できるのは大学院のみである

国が掲げる日本再興隆施策の一つに「グローバル人材育成戦略」があります。これは都立高校入試の社会に出題されたとはいえ、選択科目等として第2外国語の講座を置く高校は、戦前に比べてガクッと減少しています。結局のところ、「グローバル人材育成戦略」は大学院が担当・実践するしかないのです。

院試における外国語のウエイトが大きいため、文系大学院と言うと、どうしても「外国語」というイメージがありますが、もちろん「大学院=語学(機関)」ではありません。元を正せば、語学は海外に長く在住している人が最も得意である事実は言うまでもないですよね。それに、「正確に日本語に訳す力」や「奇異なイディオム・慣用句」に長けていることを語学力とみなす潮流は、決してグローバルスタンダードではありません。

試みに、なぜ小学校から高校までの教育機関で英語以外の外国語を教育する国があるのか考えてみると良いでしょう。EU諸国の場合は言うまでもなく、ドイツ語圏とフランスが大国であるために、英語以外に語学を習得することが、生徒にとっても将来のチャンスを増やすことになり、ひいては欧州小国の発展に確かに貢献するからなのです。それに対し、アジア諸国では、韓国や東南アジアなどで、フランス語も教育する中学高校があります。こちらは、必ずしも利害目的ではなく、文化の発展や伝統の維持といった、教養深化の目的もあるのが興味深いです。

それはそれとして、国が掲げる日本発展の施策としては、やはりまず、英語以外にも外国語を習得した人材を育成することを通して、国際的なコミュニケーションを優位かつ有益に進めて、最終的にグローバルな競争力によって21世紀社会における日本の国際的地位を高めることが目標にあります。異文化理解やグローバリティの修得と言った人文的な側面も含めて、大学院こそが実践するべき事柄です。

 

「最後に笑うのは院卒人材である」

大学や大学院を出て、正規勤務していたり、フリーランスとして独立したり、いろいろな働き方があるのが今の世の中です。特にフリーランスとして独立するという事は、ある道を専門的に極めた「プロ」として活躍することであり、ある意味で19世紀以前から続く「プロの芸術家」や「プロの職人」と同じですね。本来は、その道のプロであればこそ、その他の世界に出ることは、生計を立て続ける上でも、社会的にも、不可能でありました。

でも、今の世の中、文系であれ理系であれ、40代や50代になって、それまでの業績が社会的に認められて、別の名誉職へと出世することもあると思います。博物館や美術館やコンサートホールなどの館長、大学学長、図書館や文化会館や語学学校などの館長、大企業の幹部ポスト、海外での要職などです。その時にこそ、大学院で身に着けた教養や語学力、そして修士号(もしくは博士号)が活かされる時なのです。

特に、歴史的・国際的に世の中を広く見渡すことができる能力と語学力は、利潤追求のために働いて得られる知識の枠内では醸成されないため、海外で要職に就く際に必ず重宝します。東大教授たちが「修士課程は転ばぬ先の杖である」とよく言っていたのは、こういう意味であると感じます。

i塾は、「将来の学者」を育てるという意識を捨象することなく修士課程合格をサポートし、かつ学識豊かな知識人を国際社会に送り出すという最終的な理念も保持しています。修士号は一度取得すれば消失しない資格であり、永続的です。

タグ /
電話で体験授業の申込&相談➿ 0120-196-281受付時間 9:00 - 22:00(年中無休) 有料体験授業を
Webで申し込む(60秒完了)