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2022年10月25日

文系院試の合格にもつながる「日本の伝統的な塾の精神」とは?

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戦後、多くの碩学や知識人たちが、欧米と比較して自由主義的な市民社会が達成されていない日本の状況を嘆きました。たとえば、「日本では、まだ封建的で家父長的な人間関係の構図が残っており、上司の命令に口出しできないような社会を作っている」「女性がヘソを出して歩くなどご法度だった時代でも、欧米では性の解放と女性の社会進出が進んでいた」といった具合です。

資本主義・自由主義を絶対視する中で忘れられた中世・近世の精神

そして、それらはもちろん事実であるのですが、一方的な情報や一部の協調によって、多くの若い人や学生達に「自由主義的な社会についての誤解」を生んでしまったことも事実です。たとえば、ダ・ヴィンチに始まり、バッハやベートーヴェン、カントやヘーゲルと言った西欧の偉人たちも、こういった「規制や規律の緩い、自由で奔放な、個人主義的な社会」で育まれたため、個人主義的で自由な社会を目指さなければならない、といった具合に、です。

ですが、実際にバッハが毎日作曲していたのは、曲を書かなくては日々のパンが手に入らず、他の仕事もないため作曲しなくては乞食になってしまうという背景もありました。バッハは、まだ作曲家が「芸術家」というステータスを認められる前の時代にあって、木靴職人や鞄職人と同じように、職人として黙々と日々の作曲を続けたのです。そこには厳しい戒律や、規律正しい生活、自己規律の精神があり、個人の尊厳や権威という名のもとに文筆家や著述家がチヤホヤされるような状況では決してなかったのです。つまり、ある意味では、かつての日本の塾のように、「自由が規制され、行動がコントロールされる、競争原理がはたらいた厳しい状況」のもと作曲を続け、最高の作曲家として大成していったわけです。

バッハの後に続いた作曲家たち、すなわちベートーヴェンや、バッハを尊敬していたブラームスやブルックナーも、バッハのことを様々な形で伝え聞いていましたから、伝染病が流行し社会が混乱しようとも、社会が政治的に分裂しようとも、またいかに社会が資本主義的になろうとも、「中世欧州の職人精神」で自分を律しながら断固たる姿勢で作曲に臨んだのです。

塾・予備校の厳しさは「国際的な優しさ」でもある

しかし、たとえば「フランス人は、高校生になったらクラブやパーティーに行って社交するのが当然だ」といった西欧事情の日本への流入と相まって、「もっと自由で、欧米的な個人主義の社会でなければ、偉業を達成する人は現れない」といった観念を日本社会に巻き起こしてしまいました。

ですが、バッハと言った作曲家を含め、プラトンやアリストテレスの伝統にのっとって「逍遥しながらの論壇風発」を重んじたカントやヘーゲルも、「何もかもが許される、奔放で自己中心的な、恣意的でエゴイスティックに弛緩された社会」の中で偉業を達成したわけでは決してありません。

ですから私は、「日本的な環境」と形容されることのある塾や予備校も、現在では、自己を律するストイックな勉強体制の提供を通して、「克己」という精神を提供し、翻って「国際的な優しさ」を提供していると考えているのです。文系大学院のメリットを説明するためには欧州を引き合いに出すのが分かりやすいのですが、もちろん江戸時代の日本には第一線の学者がいたのであり、足元にある日本文化の伝統を無下にする必要はないのです。

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